で、この主催者が、募金詐欺と疑われはじめたことをきっかけに言い逃れを考えたとしよう。例えば、こんな風に。
「この活動は恵まれない子供達にお金を寄付するものではありません。募金活動をすることで恵まれない子供達がいることを社会的に認知させる活動です。あと、行政の政策が変わるよう、働きかけを行います。ちなみに、募金で集まったお金は活動資金として使われます」
そう言われれば、確かに効果はゼロではないかもしれない。しかも純粋な善意からやっていると言われればそれを否定することは難しい。
でも、だからと言って良いのか、許されるのかというと、僕は、限りなくアウトだと思う。
恵まれない子供達も、ごはんを食べればおなかは満たされ、服を着れば温かくなり、薬を飲めば病気が治る。お金があれば、ごはんも服も薬も買える。だけど、社会的に認知されたからと言って、恵まれない子供達が救われるかというと、直接的な効果はゼロだ。つまり、結局、誰かの善意を動かし、資金や物資の援助が行われてはじめて、恵まれない子供達は救われる。
あるいは、行政の政策を変えるというが、そんな得体の知れない団体の働きかけに簡単に応じるほど行政もヒマじゃない。働きかけで変わったように見えても、実は、単に社会福祉や国際貢献の一環として似通った政策が行われたに過ぎないのでは、と。しかも、結局コレも、行政の政策に依存しており、効果は間接的なものだ。
で、直接的な効果のある活動がないかというと、集めた募金を送金したり、物資を買って送ったり、自ら現地に赴いて活動したり、いろいろある。
にもかかわらず、わざわざそんな確率の低い間接的な効果しかない活動を行い、「活動資金」と称する事実上の「使途不明金」を費やすことは、決して「正しい活動」とは思われない。たとえ純粋な善意から行っているとしても、あまりに非効率なことをやっていたら、それは単に、世の中の資源を無駄に消費していることに等しい。あるいは、活動の原資を「善意」と言い換えれば、世の中の善意を無駄にしていると言うこともできる。
もっと身近なところで考えると、上記の募金詐欺主催者の発言がどんなにバカげているかがわかる。
「街の公園のゴミを片付けたい。だから公園にゴミがあることを社会に認知させるために募金活動を行ってます。集まったお金は活動資金に使われます。行政に働きかけも行います」
「近所の老人施設のお年寄りに手品を見せて喜ばせたい。だからそのことを社会に認知させるために募金活動を行ってます。集まったお金は活動資金に使われます。行政に働きかけも行います」
これらに対する回答はもちろん「おまえがすれば」だ。
ところで、最近流行りのホワイトバンドとかレッドバンドとかイエローバンドとかってどうよ。
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後半の例えはわかり易いですね。
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